石ノ森先生について

石ノ森章太郎 (いしのもり しょうたろう)

1938年1月25日宮城県登米郡中田町(現・登米市)生まれ。本名:小野寺章太郎。 1954年『二級天使』でデビュー。 1964年以降、代表作『サイボーグ009』をはじめ『仮面ライダー』『佐武と市捕物控』など数々のヒット作を生み出し、特撮やアニメーションの世界にも活躍の場を広げる。 創作活動以外でもさまざまな役職を兼務しながら、実験的作品に取り組み、マンガの新しい可能性を追求し続け、1989年「萬画宣言」を行う。 1998年1月28日死去。享年60歳。 没後もなお様々な分野において、その作品群は大きな影響を与え続けている。2008年、角川書店刊『石ノ森章太郎萬画大全集』が「1人の著者が描いたコミックの出版作品数が世界で最も多い」として「ギネス世界記録」に認定された。

石巻と石ノ森先生のつながり

石ノ森章太郎先生

宮城県登米市中田町出身の石ノ森先生と石巻とのつながりは、1995年7月に当時の石巻市長との対談から始まりました。
話の中で、シャッター街となった石巻の中心市街地ににぎわいをもたらし、様々な情報を発信していく事を目的として、石ノ森先生とゆかりのある「中瀬」にマンガミュージアムを建設する話が持ち上がり、それをもとに石ノ森萬画館を建設する構想「マンガランド構想」が誕生しました。

(※学生時代、石ノ森先生は現在萬画館が建つ宮城県石巻市中瀬地域にあった映画館「岡田劇場」に自転車で3時間ほどかけて映画を見に来ていたといわれます。)

萬画館のデザインは石ノ森先生の発案です

石ノ森萬画館の外観は「宇宙船」をイメージして作られています。
デザインは石ノ森先生の原案をもとに作成されました。

以下は石ノ森先生が模型を作製した時に残して下さった言葉です。

【石ノ森萬画館構想時の石ノ森先生の談話】

模型を作ってみました。まあ、こんな形になればいいなあ、というものです。
従来の行政がつくる”箱モノ”とは違う、という意味と、遊び心を前面に出したい、という想いです。
そして、石巻は造船も盛んだったはず。マンガ惑星から宇宙”船”が降りてきた!!ってのもおもしろいストーリーなんじゃないでしょうか!?
中瀬の地図を上から見てください。ニューヨークのマンハッタンにそっくりなんですよね。
ご存じの通り、20世紀の世界経済の中心地だったところ。
さて、21世紀。きっとソフトが中心になって世界が動いていくと考えています。
で、マンガですから、マンガッタン。いかがでしょうか?
まあボクたちは勝手に”マンガッタン構想”と2年前(※1995年)から行っていますケド。
先々、マンガッタン全体がミニミニテーマパーク的に楽しい場所になると、いいなあー、と考えています。形はこれくらいにして、肝心な中身のことですが。
私の原画を展示するだけでなく、いろんなマンガ家たちに協力してもらって、常に企画展みたいなものをやったり、各種イベントを仕掛け、進化しつづける、要するに”完成しない”施設であってほしい。
それと、こちらの方が重要なんだけど、子供達に、そして世界に”日本の文化”(マンガを指している訳じゃありません念のため)を広げていく場。
人材育成ができる場。生涯学習【注:石ノ森先生は生前、文部省(現:文部科学省)と生涯学習について研究されていました】を考えていける場。であってほしいと思っています。
あと、欲を言えば、シルバー人材を雇用してもらったり、何か”福祉的”なことを考えてもらえると、よりベターと思っているわけです。
カンタンに言うと、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでワイのワイの集まれる場にしてほしい、というところでしょうか。私も将来は、田代島に暮らすつもりですので、週に一度くらいは、その仲間に入れてもらって一緒に楽しみたい、と願っています。

(1997年 石ノ森章太郎先生の談話)

先生の意思を継ぐべく・・・

1998年、石ノ森先生は60歳にして亡くなられました。
亡くなるわずか半年前にもマンガランド構想に関連した市内の様々なイベントや懇談会にも参加されていました。

先生亡き後、石巻市民の有志が石ノ森先生の遺志を継ぐべく奮起し、署名運動や様々な運動を行う事で、萬画館の建設に向けての機運をさらに加速させました。

そして2001年の7月23日、対談から約6年の歳月を経てついに石ノ森萬画館がオープンしました。

石ノ森先生の遺志を受け継ぎ、「萬画」文化の発信はもちろんの事、広く「萬画的」な発想を活かした街づくりがここから本格的にスタートしたのでした!!

何で「漫画」じゃなくて「萬画」なの?

石ノ森先生は「漫画」を「萬画」と表現しました。
これは、1989年に石ノ森先生が提唱した「萬画宣言」によるものです。
「萬画宣言」の中で石ノ森先生は、漫画はあらゆるものを表現できる無限の可能性を秘めたメディアであることから、もはや「漫画」ではなく万物を表現できる「萬画」であると提唱しました。

石ノ森萬画館は、このような萬画家(マンガ家)石ノ森章太郎先生の作品と理念を通して、来館した方々に石ノ森先生の数々の作品をあらゆる角度からご覧いただく事で、マンガの可能性を体験し学んでもらう事を目的としたマンガミュージアムとなっております。

また、石ノ森先生の生まれ故郷である宮城県登米市中田町には「石ノ森章太郎ふるさと記念館」があります。

ここでは、石ノ森先生のバックグラウンドとなった、自然豊かな風土や先生の人柄に触れる事が出来ます。

石ノ森萬画館と石ノ森章太郎ふるさと記念館の2つの施設をご覧になる事で、より石ノ森先生の世界を深く学ぶことができます。
石ノ森萬画館にお越しの後には是非、記念館にも足を運んでみて下さい。(萬画館から車で50分ぐらいです。)

マンガッタンについて

マンガッタンについて

石ノ森先生の寄稿にも記してあるとおり、名付け親は石ノ森先生です。

石ノ森萬画館のある島の形が、ニューヨークのマンハッタン島の地形に似ていることから石ノ森萬画館がある中瀬地域は「マンガッタン」と呼ばれています。
ニューヨークは20世紀の商業や金融、経済の情報発信地。21世紀はマンガ文化の情報をこのマンガッタンから発信していく事を目指しました。

尚、石ノ森萬画館では、3月に行われる感謝イベント「マンガッタン感謝祭」、5月に行われるGWのイベント「春のマンガッタン祭り」、11月3日の文化の日に行われる「マンガッタン文化祭」と毎年マンガッタンの冠が付いたたくさんの恒例行事も開催しております。

石ノ森萬画館

石ノ森萬画館のロゴをよーく見てみると英語表記が「ISHINOMAKI MANGATTAN MUSEUM」(石巻マンガッタンミュージアム)となっています。
正式な英語表記は「ISHINOMORI MANGA MUSEUM(イシノモリマンガミュージアム)」なのですが、萬画館があるこの石巻市中瀬地域に対する石ノ森先生の想いを大事にしようとのメッセージが込めてあえてこの表記にしています。

東日本大震災 2011.3.11の状況

東日本大震災 2011.3.11の状況

東日本大震災時、石ノ森萬画館は1階の6.5m地点まで浸水し、1階にあったものはガラスを突き破り全て川へ流されてしまいました。
地震が発生した際に素早く来場者を避難させ、発生から5分後には臨時休館にして、スタッフも避難したので、幸いなことに犠牲になった来場者やスタッフはいませんでした。
震災発生10日後からは、スタッフが手分けをして瓦礫とヘドロの除去作業を行い、4月中旬には全国からのボランティアも駆けつけての撤去作業を行いました。

いつ再開できるかも分からない状況が続く暗澹とした状況でしたが、全国各地からの励ましのメッセージや萬画館の正面玄関の割れたガラスを塞いでいたベニヤ板に書き込まれた約10000人のメッセージにより、萬画館を復興のシンボルとして再開させようという動きが日に日に高まり、震災発生から1年8か月後の11月17日に再オープンする事が出来ました。

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